正寿院について

正寿院について
Shoujuin History

正寿院について

正寿院の創建は約800年前、正治2年(1200年)に飯尾山医王教寺(養老元年717年創建、現在は廃寺)の塔頭寺院として建立されたと伝えられています。

山号は慈眼山(じげんざん)
お寺の少し奥に瀧谷という小さな滝があり、ここで祈雨の修法を行うと龍神さまが現れ、恵みの雨を降らしたという。ことに当院は瀧谷寺(りゅうこくじ)とも云われていました。ここから流れる水が地区の生活水でもあり、地名が川の上と書いて川上(かわかみ)、また鎮守の神様が弁財天からして「水」と深い関わりのあるお寺ということがわかります。

【世をすくう めぐみあればや 滝谷の 流れにまかす おやまだのはら】江戸時代に詠まれた歌です。

戦国・江戸時代において二度の火災に見舞われている為、現在記述として残っているのは、当院を慶長元年(1596年)に中興された祐胤(ゆういん)という僧が、慶長18年(1614年)9月11日に遷化されたということが位牌から見てわかります。※中興とは、衰えていた物事や状態を再び盛んにすること。

江戸時代には、寺小屋として算術、道徳などを学ぶ為、多くの生徒が通っており、当時は教材として主に絵解き図を使用していました。現代にも資料として掛軸などが受け継がれています。

御本尊は十一面観世音(鎌倉時代~後期 町指定文化財)で50年に1度だけご開扉される秘仏。また当院の不動明王坐像(鎌倉時代 国指定重要文化財)は日本を代表する仏師の一人 快慶の作であります。

夏には、境内に2000個の風鈴が吊られ、涼を感じる風鈴まつりが行われることから、風鈴寺とも云われています。

客殿には、猪目窓(いのめまど)と160枚の天井画があります。この客殿は、自然に身体を委ねて川や風、鳥のさえずりなどの音を聞いて、私たち人間も我を忘れ、自然の一部であることに気づける場所であってほしいとの願いから、則天去私の一言から則天の間と名付けられています。

また様々な体験として、数珠づくりや写経・写仏、庭を見ながらヨガやお茶でお香づくりなどが催されており、老若男女すべての方が見る・感じる・体験して学ぶことができるお寺となっています。